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ダリのリトグラフを販売

ダリのリトグラフ「最後の晩餐」です。

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商品コード:
k-1231

サルバドール・ダリ「最後の晩餐」リトグラフ

価格(税込):
38,000
関連カテゴリ:
作家名 > > ダリ
価格帯別 > 2万円から5万円まで
絵画技法別 > 版画(リトグラフ、シルクスクリーン、木版画、銅版画など) > その他
絵画技法別 > 版画(リトグラフ、シルクスクリーン、木版画、銅版画など) > 人物、静物、動物
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  作者■サルバドール・ダリ
タイトル■最後の晩餐
  技法■リトグラフ(エスタンプ)
 サイン■ダリ直筆サイン有り。 ed. 251番/300部限定
  状態■新品額付き 良好
絵サイズ■61cm×38cm(横×縦)
額サイズ■84cm×64cm(横×縦)


サルバドール・ダリ《最後の晩餐》
1955年の作品で、アメリカの国立美術館、ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵。
左右対称なシンメトリックの構図でダリ自身の自由な聖書解釈で宗教界に賛否両論を巻き起こした。透けている若々しいキリストの姿、後に貼付けにされることをイメージさせるかのような肉体が、上部に描かれている。

作家プロフィール

■Salvador Dalí■
1904年、スペインのカタルーニャ地方フィゲーラスで生まれる。
少年時代から絵画に興味を持ち、画家ラモン・ピショット(ピカソの友人でもあった)から才能を認められた。1922年、マドリードのサンフェルナンド美術学校に入学し、フェデリコ・ガルシーア・ロルカ(詩人)、ルイス・ブニュエル(映画監督)と知り合った。ブニュエルとは、1928年にシュルレアリスムの代表的映画『アンダルシアの犬』を共同制作した。
1925年、マドリードのダルマウ画廊で最初の個展を開いた。
1927年、パリに赴き、パブロ・ピカソ、トリスタン・ツァラ、ポール・エリュアール、ルイ・アラゴン、アンドレ・ブルトンら、シュルレアリスムの中心人物たちと面識を得た。
1929年、ポール・エリュアールが妻とともにカダケスのダリを訪ねた。これが後にダリ夫人となるガラ・エリュアールとの出会いであった。ダリとガラは強く惹かれ合い、1934年に結婚した。
王立サン・フェルナンド美術アカデミーの学生時代には、印象派やキュビスムなどの影響も受けていたが、シュルレアリスムに自分の進む道を見出し、1929年に正式にシュルレアリスト・グループに参加した。ダリは1938年にグループから除名されたが、その理由は彼の「ファシスト的思想」が、アンドレ・ブルトンの逆鱗に触れたからであった。1939年にはブルトンはダリの作品が商業的になっていくのをからかって,Avida Dollars「ドルの亡者」というあだ名を彼にあたえた。(これはSalvador Dalíのアナグラムであり、音声的にはフランス語avide à dallars「ドルをむさぼる」と同音である)しかし彼の人気は非常に高かったため、グループを除名されたあとも国際シュールレアリスム展などには必ず招待された。
ダリは自分の制作方法を「偏執狂的批判的方法(Paranoiac Critic)」と称し、写実的描法を用いながら、多重イメージなどを駆使して夢のような風景画を描いた。またヨハネス・フェルメールを高く評価しており、著書の中で、ほかの画家を採点したとき、フェルメールに最高点をつけている。「アトリエで仕事をするフェルメールを10分でも観察できるならこの右腕を切り落としてもいい」と述べたこともあった。第二次世界大戦後はカトリックに帰依し、ガラを聖母に見立てた宗教画を連作した。ガラはダリのミューズであり、支配者であり、またマネージャーであった。
第二次世界大戦中は戦禍を避けてアメリカ合衆国に移住したが、1948年にスペインに帰国。ポルト・リガトに居を定めて制作活動を行った。
1982年にガラが死去すると、「自分の人生の舵を失った」と激しく落ち込み、ジローナのプボル城に引きこもった。1983年5月を最後に絵画制作をやめている。
1984年には寝室でおきた火事でひどいやけどを負い、フィゲラスに移った。
1989年にフィゲラスのダリ劇場美術館に隣接するガラテアの塔で、心不全により死去。85歳没。





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